今回読んだ本 「超訳 モンテーニュ 中庸の教え」大竹稽
新訳とは?中庸とは?
この本の表紙を見た時、まず超訳ってなんだろう?と思いました。
「おわりに」の部分を読んでみると、この本「超訳 モンテーニュ 中庸の教え」は、フランスのモンテーニュという先生が書いた「エセー」という書物から、著者(大竹稽さん)が人生訓を抜き出したもの、のようです。
(超訳ではないエセーについても検索してみましたが、何冊かのセットになっていて「モンテーニュもエセーもよく知らない」私には、読んでみようとはならない量でした…)
そんな私が中庸って聞いたことはあるけれど、どういう意味なんだろう?という思いからこの本を読み、感じたことサクッとまとめます。
結論、この本から「中庸とは何か知る」は私には難しかったです。ただ、恥ずかしながら、モンテーニュもエセーも知らなかった私が、モンテーニュ先生がどんなことを言っていた人なのか知ることができました。
中庸とは無理をしないこと
無理をしないとは、自分に”ふさわしい”速度で走る事。
歳をとって体力がなくなるのも自然なことで、病気になるもの自然なこと、無理に反しようとしないことだそう。
モンテーニュ先生はハゲていたみたいですが(書いてある)、それも私自身だと言います。
私も30代女性なのでこれからの体の変化が怖いなーと思うところがありますが、モンテーニュ先生からすると、「それ自然だよ、楽しみなよ。」って言われるでしょうか。
揺らぎと定めなさこそ私たち人間の本質
自分は揺らぎ、定まりないもの。
モンテーニュ先生も自分を馬鹿野郎と怒鳴らない日はなく、部下に対しても大声で「馬鹿野郎」と叱り飛ばすそうですが、その呼び方を部下に縫い付けておくことはしない。叱り飛ばした後で「君はしっかりしている」と褒めることもあるそう。
「バカ」であるのは自分の一面で、そんなものが自分の定義になるはずがない。
この本を読んでいるとき、職場で嫌なことがあり、ついつい不機嫌な態度をとった自分に落ち込んだ日がありました。そんな時に、このモンテーニュ先生の言葉を思い出しました。
「不機嫌になってしまう未熟な自分もいるよね、でもそれが私の全てじゃないよね。モンテーニュ先生も言ってるし。」
(これが正しいのかわかりませんが…)今の私はそういうもんだと思うと、スッキリして次に進めます。
中庸って何か?はまだ難しい。
この本を読むことで、中庸って何かわかった?と言われると、今の私にはまだまだ「うーん」という感じ。そもそも人生訓を抜き出したものなので、「中庸とは何か知る」という目的が違っていたかもしれません。
ただ、祖母と話している時に、「そういうもんだ」と言われて何故か納得してしまう感じを思い出しました。(過ごしてきた日々が言葉の後ろにあるのを感じるから?)
モンテーニュ先生の人間らしさのような部分にも面白さを感じました。(ハゲかかってる、部下を怒鳴る事もあるなどなど)
この本の「おわりに」の中には「超訳」から「原典」に向かわせる、との記載がありましたが、いつか時間のある時に、ゆっくり原典の日本語訳を読んでみたいと思います。
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